「平成」もあと1か月半。
当時の小渕官房長官が「平成」と書かれた色紙を掲げ、元号と同じ地名の「平成地区」が大フィーバーしたのが思い出されます。
ところで・・・
白樺 青空 南風 こぶし咲く あの丘 北国の ああ北国の春 ♪
千昌夫が唄った【北国の春】の一節です。
この中に出てくる「こぶし」が名前に入った道路が中濃消防組合管内を通っています。
「平成こぶし街道」という愛称の「主要地方道関・金山線」(県道58号)です。
道路沿いに植えられているのは「こぶし」だけではなく「ハクモクレン」(白木蓮)も多くあります。どちらもモクレン科なのでよく見ないとわかりません。
岐阜県道1号 岐阜富山線
ところで、この県道関・金山線は1952年(昭和27年)までは、「岐阜県道1号 岐阜富山線」の一部だったのをご存知ですか?(地元の人でも知らない人が多いです)
県道1号といえば、「府県庁所在地より隣接府県庁所在地に達する路線」とされており、当時の関・金山線は ≪岐阜~関~金山~下呂~高山~富山≫ へと続く岐阜県の基幹道路でした。
現在のJR「高山線」は、当初この「県道1号」と並走する計画だったそうです。
満103歳! 県内第2の長寿の道路橋
この関・金山線に満103歳となる、県内第2の長寿の道路橋 若栗橋(わかくりばし)(<1915年12月(大正4年)竣工>)があります。
場所は、中濃消防組合 関消防署 武儀出張所(関市中之保、若栗地区)のすぐ近くです。
現在「若栗橋」は橋梁点検調査により「健全度Ⅳ」と判定され、全面通行禁止になっています。
当時この道路は「県道1号」として、拡幅や「木橋から永久橋へ」という、橋梁架設が進められました。
しかし、この頃の橋梁は洪水による流失や、通行車両の大型化・交通量の増大のため架替えられたりして「若栗橋」以外は現存していません。
海を渡ってきた主桁
主桁がI型をしているのがわかると思います。
この主桁はなんと「USスティール(カーネギー製)」です。
遠くアメリカ東海岸から、海を渡ってきました。パナマ運河?スエズ運河?どちらからでしょうか?
日本土木学会・土木遺産小委員会の関係者の現場視察では、「I型桁橋」としては国内最古という評価です。
橋銘板
社長・武藤助右衛門は、美濃市「うだつの町」のど真ん中に店を構え、金属取り扱いの商いの他、新美濃橋の上流に「井ノ面(いのも)発電所」を作り、「美濃町線」の電源を確保したことで知られています。また、「若栗橋」の翌年完成した「美濃橋」の資材調達や施工に関わったと思われます。
ローレライ(ドイツ製)「岐阜県道1号 岐阜富山線」を駆ける
「県道1号」の改良工事の進展をみて、定期的なバスの運行が始まりました。(1912年「濃飛乗合自動車㈱」)
所要時間は「10時間30分」(途中2回のトイレ休憩あり)、
運賃は「5円50銭」(現在の貨幣価値では10万円くらい)。
沿線の名所として「日龍峯寺」(高澤観音)が紹介されています。
【『濃飛バス70周年記念誌』(2013):濃飛乗合自動車㈱】
定期的なバスの運行に続き、トラック輸送も始まります。(1916年「中央自動車㈱」)
こうした自動車交通の黎明期にあって、高山線や焼石ダムの工事機械や資材の運送を担っていた田口自動車(萩原)の田口利八さんは、「これからはトラック輸送の全国展開だ」という志を固めたそうです。(現在の西濃運輸㈱)
美濃橋より古い
中濃消防組合の管内には、現存する国内最古の近代吊橋として重要文化財に指定されている「美濃橋」<1916年8月(大正5年)竣工>がありますが、「若栗橋」は「美濃橋」より1年古いものです。
ちなみに、岐阜県最古の橋は、1885年(明治18年)の東海道線開通時の「揖斐川橋梁」です。
鉄道橋として作られ、1913年から道路橋となっています。
道路橋として作られた橋としては「若栗橋」が岐阜県で最も古いということですね。
【資料提供:岐阜県産業遺産調査研究会 会員 齋藤 宏】
もうすぐ平成の時代は終わりますが、新しい時代となっても「若栗橋」は岐阜県の近代社会・経済発展の証言者として残されていくことでしょう。
新しい時代となっても、中濃消防組合は住民の皆さんの安心・安全を守るため、全力で頑張ります!