夢だった消防士になれた! 投稿者:たろさん
こんにちは。昨年もこの企画に参加させて頂き、事故で助けていただいた経験から救命士を目指し、
救命士の専門学校に通っていると紹介していただいた者です。
(めのという名前で紹介していただきました。)
今年消防の試験に合格し、救命士になり人を救うという夢に大きく近づくことができました。
いくつも大変なことがありましたが、あの時助けていただいたことを思い出し気持ちを奮い立たせました。
これから更に知識や技術を身に着け必ず人を救います。
あの時の私のように、生きていて良かったと思える人を一人でも増やしていけるよう全力で頑張ります。
搬送してもらえてよかった 投稿者:なぎさん
令和6年の春頃、祖母の悪性リンパ腫が見つかりました。
初めはピンピンしていましたが、10月には自力で動けなくなり、
自宅で看病していている期間も入退院を繰り返していました。
そして11月11日18時頃に容態が悪くなり、すぐ119番通報をし、
また病院に救急搬送されました。
その時、対応して下さった隊員の方は祖母に優しく接してくれたり、
その後消防署にお礼しに行った自分にもたくさん励ましてもらいました。
その後余命1、2ヶ月と診断をされ、それから2週間ほどで亡くなりました。
亡くなってから皆さんにしっかりお礼を伝えられていないのでここで言わせてください。
あの時、何度も救急搬送をしてくださった救急隊員の方々、ありがとうございました。
祖母は生前「あの時、搬送してもらえて良かった」とずっと言っていました。
救急車の写真撮影📷 投稿者:TAKAさん
私は全国各地の救急車のお写真を消防署において撮らせて頂いております。
救急車は白いボディーに赤いラインが主流ですが、
地域によってカラーリングやデザインが施されていて一台一台全然違うことを知り
興味を持ちこの趣味活動を始めました。
この趣味活動を始めた頃は消防署って写真撮影をはじめ市民に対して
どのような対応をしているのか?っということを全く知らずに緊張しながらも
電話でアポを取らせて頂きお邪魔したら、隊員さんの皆様が凄く親切で
丁寧に対応して下さったことに驚いたのを覚えています。
いつも写真撮影時に快く車庫から出して下さり感謝しながらシャッターを切っています。
これからもマナーやモラルを守り誠実な行動を心がけて全国を制覇したいと思います。
お忙しい中ご対応して下さり本当にありがとうございます。

4人目の救急隊員 投稿者:ゆうきのしるしさん
救急対応開始。
「医療情報・お薬情報・保険証・クツ、クツ、靴」 おまじないのように唱えていた、介護職時代。
救急車の搬送に付き添い同乗させていただくことが何度かありました。
介護職員であり、応急手当普及啓発活動に従事する、消防団員でもあった当時の私。
『救急対応』は大丈夫。 そんな、根拠なき自信が私にはありました。
しかし、いざ、救急要請の場面になると、『救急車は119番で、間違いないよな?』と自問自答するところからのスタート。
救急隊員さんが到着されたあとも、その時の状況を、身振り手振りも交え、必死で伝え、
心身ともに、あたふたし、ヘトヘトになったのが初めての救急要請でした。
この苦いエピソードが救急対応、高齢者救急、様々な病気や薬についての見聞を広げる、きっかけとなりました。
これ以降、根拠を持った救急要請を心がけ、救急車を呼んだ後の行動についても考え、
苦しむご利用者様の『代弁者』として、救急対応にあたったことを記憶しています。
その過程をたどる中で、欠かせなかったのが『救急隊員』の皆様の存在です。
救急隊の皆様に、様々なことを教えていただいたり、現場対応のアドバイスをいただいたり、
時には、具体的な相談にのっていただいたことが、私自身の支えとなり、
成長のきっかけともなりました。 そんなやりとりを通じ、救急隊の皆様とも、
顔の見える関係となりました。
初めて、救急車を呼んだ時、サイレンの音が、
私自身の救急対応への『不安』な心の声がこだましているように聞こえました。
そんな『不安』のサイレンが、 大丈夫。『安心』のサイレンに変わったのも、
救急隊の皆様のおかげだと感じています。 サイレンが聞こえ、救急車を誘導する私に、
パッシングで応答してくださった、機関員さん。
傷病者さんの情報を丁寧に聞いてくださり、苦手だった、警察官対応も支えてくださった、救急隊長さん。
傷病者さん目線で、落ち着いて、優しく対応してくださった救急隊員さん。
救急隊の皆様とのエピソードは、枚挙にいとまがありません。
そして、救急隊の皆様に支えていただき今の自分があると確信しています。
いつも温かく支えてくださり、ありがとうございます。
現在は、介護の現場を離れ、今は別の業界で仕事をしています。
そんな今でも、ご縁あって、地域の消防団員として、応急手当普及に携わらせていただいています。
今後も、『地域』と『救急隊』をつなぐパイプ役として、 そして、救急隊員さんへの感謝を胸に、
『4人目の救急隊員』として、地域の応急手当普及啓発に従事していきます。
ようやく授かった命。あの時のお礼を今伝えたい。
特定不妊治療を受け第1子を授かる事が出来ました。
妊娠中は出血が多く安静の日々でした。
35週になったばかりの頃、夜中1時頃に産院へ行きましたが、
MFICUがある大学病院へ転院になり救急車で運んでいただきました。
出血はあったもののお腹の中の子も私も元気でしたが
早期胎盤剥離の危険があるための転院だったためとても丁寧に搬送してくださいました。
その時にお腹にいた子はとても元気で8歳になりました。
あの時に搬送していただかなかったら母子共にどうなっていたかわかりません。
救急隊員の方々には感謝の気持ちでいっぱいです。
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